YS-11

「12月1日から羽田空港で第2ターミナルがオープン!」
テレビでこんなニュースをやっていた。何でも混雑が解消され、利便性もアップするそうだ。
ただJALANAの搭乗口が分かれるので、キャンセル待ちをするには苦労しそうだw
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ところで、私は空港で旅客機を見るたびに、ある旅客機を思い出す。それは国産最後の旅客機YS-11・・・
戦後、占領期の日本は航空機の製造が禁止されていたが、独立と同時に解禁され、官民一体で航空機を製造することになり
かつて零戦や飛燕などの名戦闘機を開発したエンジニアたちが招集された。
そして完成したのが、中型のレシプロ(プロペラ)旅客機YS-11である。
当初このYS-11はとんでもない欠陥機であったが、顧客であるエアラインと共同でこれを解決し、傑作機となった。
実は、量産1号機開発から40年近くたった今でも少数ではあるが国内で飛んでいる。
だがYS-11は開発に多額の資金がかかり、政治的判断で後継機は開発中止となり、以来国産の旅客機は誕生していない。
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大局から見れば、開発中止は失策中の失策だったと思う。
たしかにYS-11は大赤字を出したが、これで得た技術やデータは何物にも変えがたいものであった。
もし開発を続ければ、日本は欧米に引けをとらない航空大国になっていたのではないか・・・そんな思いがしてならない。
しかし現在、YS-11のような中型旅客機を製造している国はカナダなど日本より経済水準が低い国であり
まだまだ日本にはビジネスチャンスが十分に残っている。
かつて焦土から奇跡の復活を果たした日本人の情熱を取り戻して、これに当たって欲しいと願っている。
(参考文献:著/前間孝則 「最後の国産旅客機 YS-11の悲劇」 講談社